終末医療と死生観 | 雨、ときどき快晴。

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気の向くまま、風の向くまま、生息中。ただひたすら怠惰に眠るのが、目下の夢。
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ただひたすら怠惰に眠るのが、目下の夢。
終末医療と死生観

終末医療と死生観

写真は、
父の病院からの帰り道の夕暮れの景色。

病院から連絡があり、
明日、ふたたび主治医と話をすることになった。
今回は今まで以上に
重い話し合いになることはわかってる。

(以下、長文になります。しかも重い)

父のくわしい病状について
これまで書くことはなかったけれど
わたしも長い時間をかけて、覚悟ができてきた。
というよりは、覚悟しなくてはならない。

父は末期の肝硬変で、
常に肝性脳症にかかる危険があり、
いつ急変するかわからないと言われている。

2年前まではまだ治療のやりようがあり、
手術をすれば日常生活がふつうに送れるようになると
主治医からは勧められた。

わたしも姉ももちろんそうしたかったし、
手術やその後の生活についての資料もたくさん読んで
父に話し、主治医からも難しい手術ではないと
図解にして説明してくれたけれど、父は拒否した。

父の言う答えはただひとつ。
「そうまでして生きたいとは思ってない」

それが父の唯一の考えで
結局ここまで、積極的な治療はひとつも行わなかった。

誰だって、生きられる方法があるなら生きたいだろう、
これまではそう思っていた。
でも父は違っていた。

父の気持ちを思い知って、
手術すれば生きられるのになんで!という悔しさや
家族の想いなんて父は知らないんだ、という悲しさや
いや、父の人生なんだから父が選ぶべきなんだ、
と苦しさを抑制する気持ちなどと、常に闘ってきた。

現実をしっかり見ようと、
末期に至ってからの治療の現状や
寝たきりになった後、人はどうやって死んでいくのか、
調べ、読み漁った。

そこで、日本は治療が進んでいるがゆえに
必要かどうか熟考する前に
多くの延命治療が行われていることを知った。

これほど寝たきりの人が多い国はないことも、
ほかの先進国では、自分で食事をとれなくなったなら
それを死期として治療を行わない国が多いことも
初めて知った。
なぜ食べられない、話もできないのに
ただ生きさせなくてはならないのかと
人間の尊厳に疑問を呈す人が多いことも知った。

そして、時間がかかったけれど
父の意思を受け入れようと思えた。
本当に覚悟ができるまで、二年かかった。

死生観は人それぞれで
誰も、誰かに「生きろ」と強制することなどできないのだと。

「私達は生まれる時には選べなかった。
死ぬ時はせめて自分で選びたい」
ずっと昔に観たドキュメンタリーで話していた女性の姿が
何度も浮かんだ。


もともと非常に頑固な人なので
誰が何を言っても聞かないけれど
入院をすれば、点滴やカテーテルを引き抜いてしまい、
動いちゃダメだと言われているのに
ヨロヨロの姿で外にタバコを吸いに行っては叱られ、
わたしはずっと、病院には謝ってばかりいた。

でもとうとう、
父にはそんな力もなくなってしまった。

先月後半に父の主治医と
今後の転院もふくめて、いろいろと話をした時には
まだ状態が安定していたので
「自宅に帰るのは無理だけれど
看護師が常駐しているような施設なら可能」
とのことだったので、父の嫌いな病院ではなく、
ある程度の自由があってゆっくりできる個室の施設の
見学などに行って、転院先を探していた。

ただ、父の使っている薬に痛み止めの麻薬があり、
その麻薬の処方を特定の医師しかできないことから
受け入れ可能な施設が見つからなくて
試行錯誤していた。

その最中に急に父の体調が悪くなり、
今はまたこの先どうするかを
決めなくてはいけない時が来ている。

延命治療はしない。
兄弟三人で確認をした。

父に関して、わたしがキーパーソンの役目なので
昨日、兄と姉に、
「気管切開も胃瘻もしない。
今後もし容体が急変しても、人工呼吸器もつけない。
本当にそれでいいか」と確認をした。

声が震えそうだった。
わぁー!と泣き出したくなった。
でも、絶対に泣かない。
父の望みをまっとうするんだ。

そのときを自然に迎える、
それはとても難しいことだけれど
できる限り父の希望に沿いたい。

今はただ、その想いだけで動いてる。

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2014.04.17 14:07 *vitaさん

vitaさん、ありがとうございます。
お父様のお話を聴かせていただいてうれしかったですよ。
本来なら親はまだまだ元気な年代のため、
親の闘病に関わる友人はほとんどいないので・・・

肝細胞がんのお父様を看取られたのは
本当につらかったでしょうね。

男性はどうしても進んで病院へ行きたがらないですよね。
自分の今の状態を認めたくないんでしょうね。
わたしと姉も、父を病院に連れて行くたび、
毎回とても苦労したので、よくわかります。

肝臓に関わる病気について、あれこれ調べては読み、
先生からもいろいろお話を聞きましたが
「苦しい」と知ると、本当につらかったです。
新薬を試したり手術をされたのは、
少しでもよくなるかもしれないと思ってのことですよね。
きっとその気持ちはお父様も分かっていらしたと思いますよ。
そして、そんなご家族に囲まれていたお父様は
つらかった中でも幸せだったと思います。

後からしかわからないことがありますよね。
その時はただ夢中で。
その時に考えうる最良のことをやっていくしかないんだと思います。
だからご自身を責めないでくださいね。

うちの父は、まだ良くなる余地があったのに
それを選択しようとはしませんでした。
そのことを受け入れることは、とてもとてもつらかったです。
でも、無理にでも説得して治療をさせて、
たとえば寿命が1年延びたら満足かと言われれば、
そうではないんですよね。

優しい言葉をいただいてありがとうございます。
あとどれくらい時間が残されているのか、
毎日毎日それを考えては気持ちの波がやってきますが
最後まで笑顔で接していこうと思っています。
泣くのはそれから、と思っています。

2014.04.15 14:29
vita
やえさんが今どんなに不安で苦しいお気持ちかお察しすると辛いですね。
私の父の話で申し訳ないですが、
父は肝硬変から更に進行して肝細胞がんになっていました。
やはり、肝炎の時点で治療していればもっと違う結果になっていたと思います。
当時なぜ積極的に治療しなかったのか、私たち家族ももっと説得していれば良かったのに、
父は仕事に逃げて、それを認めたくなかったのかも知れません。
進行してしまった後は、最終的に病名も余命も本人には告げませんでした。
父は自分の本当の病名も知らないまま、それでも痛みなど増してくるので
末期は出来る限りの手術や新薬も使ったりしました。
本人は納得がいかない部分もあったでしょうね。
最期は大学病院で朦朧とする意識の中、
取り付けられた医療装置を睨み付けていた顔が忘れられません。
入院中に「自分は大学病院の実験台だ」とか何度も言っていたので、
本当に申し訳ないことをしました。
本当の病名を告げた方が良かったのではないかとか、
最後の時間を私たちが奪ってしまったのではないかとかいろいろ。。。
勉強不足でした。

やえさんは、お父様の固いご意思を尊重して覚悟をされた。
辛いご決断だったでしょう。
お父様はこんなに想ってくれる娘さんがいて幸せだと思います。
時間が巻き戻せるのであれば、
私もやえさんみたいに、父にしてあげられれば良かったのにと思います。

非情な事をいうかも知れませんが、ずっと気持ちが沈むと身体が持ちませんので
切り替えもして下さいね。ご兄弟やご友人、こちらにメッセージをお寄せ下さった方々などと
気持ちを共有して、やえさんの心の負担を分けて下さいね。

お父様が穏やかに過ごせますように祈っています。

2014.04.15 09:49 *Sinfoniaさん

Sinfoniaさん、遅くなってしまいました。
コメントをいただいてありがとうございます。

療養型の施設で働いていらっしゃるんですね。
間近で見ていると、自分のご家族のその時についても
考えるようになりますよね。

子供の頃からとても可愛がってくれた伯父が
難病のALSになり、少しずつ弱って
長い間ホスピスで静かな時を過ごしたのを
見てきました。
伯母はその後に脳梗塞になり、胃瘻などをしましたが
本当にそれでよかったのだろうかと
たびたび考えてしまいます。

一番は本人の希望ですが
それを聞かないままに突然選択を迫られたとき、
どうすればいいのか、本当に難しいですよね。
父についてははっきりと拒否をしていたので
苦しみはあれど、
まっとうするしかないのだ、と信じています。

それでもなお、つらく苦しい・・・
これが看取る、ということなんですね。。

2014.04.14 15:47 *まゆみさん

まゆみさん、ありがとうございます。
最愛のご主人を見送られたばかりなんですね。
苦しい気持ちを思い出させてしまって申し訳ない気持ちと、
だんだんと弱っていくあの姿を見ている気持ちを
わかって下さる心強さと・・・
まだまだお辛い時に、ありがとうございます。

一度泣いたら涙腺も、張っている気持ちも
崩壊してしまいそうで
ずっとぎりぎりのところでこらえているような気がします。
そして、覚悟を決めているはずなのに、
父がいなくなってしまうことが怖くてたまりません。

でも、そんな胸中を察せられないように
父のそばにいる時には笑顔で語りかけ続けるように
したいと思っています。

いつか、精いっぱいやったのだと思える時が来るでしょうか。
今は苦しさと寂しさと心細さが入りまじった中で
なんとか前向きな気持ちになろうと闘う日々です。

2014.04.14 15:42 *mikoちゃん

mikoちゃん、ありがとう。

こうなるまで、私たちの願いとは違うことに
苦しんだ期間も長かったけれど
父がはっきり意志を表示してくれてよかったと
今は思うようになりました。
父がどうしてほしいのかわからずに進むには
迷い続ける道だっただろうから。

いつか、長い長い時間が経って
自分も父の気持ちをより実感として
わかる日が来るのかもしれないね。

2014.04.14 15:29 *りるさん

りるさん、こんにちは。

りるさんのつらい体験を
話してくださってありがとうございます。
突然の別れ・・・想像することすら苦しいほどです。
長くつらい気持ちを持ってここまで来られたこと、
お察しします。

経験して初めてわかることがありますよね。
そして、同じ思いを自分は家族にさせたくないと思う・・
そうなって初めてわかるんですよね。

先生からも、
「長きに渡って支えてきたことが
別れの代わりにもなるのだから」というようなことを
言われました。
今はただ、父の気持ちを汲んで
きちんと前を向いていきたいです。

2014.04.13 21:29
Sinfonia
こんばんは 
やえさんの選択私は 有りだと思っています
今、療養型の施設で働いていますが、
胃瘻や経管チューブが入っている方々がいます。
意識もなく、ご家族との会話は困難な方が多く、
ご家族とのコミュニケーションはタッチングです。
看取りの時期になると
ご家族へ説明して
自然な状態でと考える家族も多いです

働いていて思うのですが、
自分の両親だったら
たぶん
やえさんと同じ選択をします
やはり生きているではなく
生かされているという人生
果たして幸せかな?
と 感じてしまいます。
お父様との時間穏やかで過ごせるとお祈りしています

2014.04.12 12:27
まゆみ
やえさんへ。 
心中お察しいたします。
読みながらやえさんの感じていることが手に取るようわかり、
涙が止まりませんでした。
先月最愛の主人をお父様と同じ
病気でみおくりました。
泣かない!!って決めた覚悟、
私も同じでした。
かける言葉がみつかりません。
頑張りすぎるほど頑張ってるやえさんにこれ以上その言葉はつかえない。
ただただ、お父様との時間を大事にしてください。
そしてその日が来ても決して自身を責めないで下さい。
精一杯やったことはお父様に伝わってるはずだから。

2014.04.11 23:47
miko
私も以前本で読んだことがあるんです。
人は最後の最後で食べられなくなる時が来る。
そこを無理やり栄養を入れても苦しいだけ。
自然に身を任すことで楽になれるのだ。って…
もちろん色々な意見もあるだろうけれど
そうなんだなって…

お父さんとの時間が少しでも穏やかでありますよう。。。

2014.04.11 23:46
miko
私も以前本で読んだことがあるんです。
人は最後の最後で食べられなくなる時が来る。
そこを無理やり栄養を入れても苦しいだけ。
自然に身を任すことで楽になれるのだ。って…
もちろん色々な意見もあるだろうけれど
そうなんだなって…

お父さんとの時間が少しでも穏やかでありますよう。。。

2014.04.11 15:53
りる
こんにちは、お久しぶりです。
なんと言えばいいのか・・ただ、それが親孝行、になるのかなと思いました。
そして、それは辛くもありきっと大変なのですが、どこか羨ましくも感じました。
私の父はあまりにも突然、家族との一生の別れを選択をしました。
親孝行・・・できなかった。10年以上経っても後悔の念は消えません。
やえさん、上手く言えないけど、これからの大変な時間は、
同時に、家族の幸せな時間としてずっと心に刻まれますように。
どうか、この先の日々がやえさんやご家族にとって
すばらしく幸せな日常でありますように。お祈りしています。

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