父の病状 〜その1 急変 | 雨、ときどき快晴。

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気の向くまま、風の向くまま、生息中。ただひたすら怠惰に眠るのが、目下の夢。
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ただひたすら怠惰に眠るのが、目下の夢。
父の病状 〜その1 急変

父の病状 〜その1 急変

父のこと、日々変化しているのに
書こうと思うとしんどくて
だとしたら、きっと読むほうも楽しくないだろうと
なかなか現状を書けないでいましたが・・・
未だ手探りなので、最近までの経緯を。
自分の覚書としても。

父の体調が安定してきたので
転院先を探しましょう、と
先生からお話があったのが3月の半ばのこと。

自宅に帰ることは難しい。
療養できる先を見つけて、
まずしばらくは様子を見ましょうとのことだった。

ただし、24時間看護師のいる場所であること、
積極的治療をしないことを受け入れてくれること、
薬価が高い薬を使っているので、
それを扱ってくれるところ、
そして痛みを緩和する麻薬パッチを
継続して使用できるところ・・・

こういう条件が重なると、受け入れ先はほとんどなく、
特に麻薬パッチは取り扱いのできる医師が
限られているため、
病院側があたってくれた先すべてが
「受け入れは難しい」との返答だった。

麻薬パッチさえなければ・・といくつもの先から言われたけれど
先生の見解では「あったほうがいい」と。
病院の社会福祉士さんもうなってしまう状態。
治療ではなく、緩和ケアで看てもらうことは
とてもハードルが高いと知った。


そうこうしているうちに
父の様子が急変した。

つい数日前には話をしていたのに
話しかけても返事がないばかりか、
目の焦点も合っていない。何も表情がない。

唯一、どんな時も笑顔を見せたこつぶが来ても
こつぶだということすらわからない。

この状態は…と案じていたら
急きょ、主治医から話がしたいと連絡があった。

これが4月半ばのこと。

もうこの時点で、
厳しい話になることはわかっていたので
伯父たちにも連絡をして、遠方から来てもらった。

近くの駅まで迎えに行き、
はるばる来てくれた伯父たちを乗せて病院へ向かう間、
ずっと泣きそうな、心もとない気持ちでいたけれど
伯父たちの話す父の記憶が、思いのほか、
気持ちを安らかにしてくれた。

父が子供の頃、東京から大阪の親類の家にひとり預けられ、
そこで由緒ある家の養子になるはずだったのに
(この頃の話を父から聞くのがわたしは大好きだった)
勝手に東京の家に帰ってきてしまったこと、

青年の頃、盲腸になって入院した後、
手術が嫌で裏口から逃げてしまったこと。etcetc

「たかが盲腸なのに手遅れになりかけて
2時間以上の大手術になってしまった」と
常々父は言っていたが、
それは自分が裏口から逃げたせいだったなんて!

父の記憶でこうして笑えることに感謝した。
思い出を語ってくれる人がいることに感謝した。

昔から病院が大嫌いだったんだよね、と
みんなで笑った。


そうして父の懐かしい話をしながら病院へ着いて
先生から聞いた宣告は、
想像していた以上に厳しい話でした。


→以下、長いので次の記事へつづきます。

*本文と写真は関係ありません。

 写真は、昨日帰宅時に出迎えてくれたときの2ワン。
 ハニョの怠惰な姿勢…。

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