雨、ときどき快晴。

気の向くまま、風の向くまま、生息中。ただひたすら怠惰に眠るのが、目下の夢。
気の向くまま、風の向くまま、生息中。

ただひたすら怠惰に眠るのが、目下の夢。
2歳9か月の成長 〜真似をする人

2歳9か月の成長 〜真似をする人

「ハンちゃん、おりこうさんだねぇ〜
おふろに入ってくるから、すこしまっててね。
すぐもどってくるからねえ〜よしよし」

ハニョを抱きしめてなだめるように
話しかける口調が、
わたしにそっくりでぎょっとする。

声のトーンや、リズムまで。
まるで模写のようだ。


今月の17日に、2歳9か月になりました。

なんとなく、もう3歳過ぎているかのように
錯覚してしまう時がよくあるのだけれど
まだ2歳なんだなー。

3月から毎日保育園に行く時に大泣きして
追いすがっていたのが
やっと笑顔のハイタッチに変わりました。

新しいクラスや、新しい先生にも
ようやく慣れてきた。

何につけ、周囲から
「やることが早いね」「器用だね」と
言われ続けてきた娘だけれど、

確かに覚えることは早くても
いつも、心が慣れるまでには
人よりずっと時間がかかるんだな、
と実感している。

みんなが楽しみにしている園での劇なども
大きな音が怖くて、こつぶはまだ観られない。
途中で泣いてしまって、そんなときには職員室で
絵本を読んでもらっているんだそう。

「しーちゃん音がこわくてね、泣いちゃったの」
と帰り道に報告してくれて、
ゆっくりいろいろ話せることに、成長を感じている。


‘ママになりたい願望’は相変わらずとても強く、
ついこの間は、こんなふうに聞かれた。

「ねぇ、ママってつかれちゃう?
ママって、おしごとしたり、ごはん作ったり、
ディズニーランドに行ったりするから、
つかれちゃう?」と・・・(笑)

ママだからディズニーランドに連れて行くって
わかっているんだなぁ(^_^;)

「疲れるときもあるけど、楽しいよ〜」と言うと
うれしそう。

話の流れで盛り上げようとして、

「しーちゃんはどんなママになりたいの?」
と聞けば、これも変わらず、

「もぉ〜〜!あなたみたいなママですよぅー!!」

とのけぞりながら、ツッコミではたかれる。

2歳児に何どつかれてるんだ、わたしは(笑)
しかもはずかしいのか、こつぶは照れている。

比喩ではなく、娘が言うところの
「ママになりたい」とは自分のことなんだなぁ、と
日々、口調や仕草が似てくるこつぶを見ながら、

ふいに襟を正すのである。
「役に立たない日々」

「役に立たない日々」

最近、読むものといったら、

部屋数は何床だとか、
ユニット式(個室)か多床部屋かとか、
環境は良いかとか、面会は何時までとか、

父の転院先候補の大量の資料ばかりで
しかも未だに受け入れ先が決まらないので
どんどん煮詰まっていた。

腹痛まではじまる始末。

ストレスが身体に来ているのをひしひしと感じて
いったん資料は手から放すことにした。

それで、些細な日常をていねいに綴った良質なエッセイを
たまらなく欲した。

幸田文さんや武田百合子さんがいいかな〜と思ったけど
佐野洋子さんのエッセイを買ってみた。

その名も「役に立たない日々」

じわじわと、良い題名だなぁ。

佐野洋子さんといえば
言わずと知れた著名な絵本、
「100万回生きたねこ」の作者だが、

読みながら、
実はこんなに豪快で口の悪い人だったのか、と驚いた。
そして笑った。時々笑いで肩がふるえる。

口の悪さの中に情があり、繊細さがある。
素敵な人だなあ。

絵本もよかったけれど、エッセイのほうがすきだ。

が、このまま笑いで突っ走るのかと思ったら
11歳で亡くなったお兄さんの話に泣き、

さらにご自身も癌の告知をされるではないか…

そしてまたその死生観に考えさせられる。

なんだなんだ、結局また、
看取ることについて考えてしまうなんて、と
思いながらも、やはり本を読むのは楽しい。

読める心がうれしい。
日曜日、挽回。

日曜日、挽回。

金曜日に記事に書いたように
週末は予定が急きょ変更になりました。

こつぶを園に迎えに行って
本当はそのまま母の家に向かうところを
母の体調不良で中止になり、
楽しみに園で待っているこつぶに
なんて言おう・・と足取り重く迎えに行った夕方。

わたしの姿を見つけて、
ぱぁーと顔が明るくなったこつぶに
「実は・・・ごめんね」と話し、
そのかわりに、日曜日に大きな公園へ行こう、と
伝えると、「うん、うん」と頷いていた。

「ばあば大丈夫かな?あとで電話してみようね」
と自ら言うこつぶ。

そのまま一緒に薬局に行ったら
有線からバラードが流れてきて

「ママ、この音楽さみしいねぇ。
ばあばにも会えないし、さみしいねぇ」と。

泣いたりぐずったりせず、
聞き分けがいいなぁと思ったものの、
口には出さずに寂しさを感じていたらしい。

そのこつぶの胸の内を思い、
母の体調も気にかかって
重々しい気持ちでいたわたしも

「うん、そうだね〜、
なんだかママもさみしくなっちゃった」
と返事をしたら、

トットットッとこつぶが寄ってきて

「ママ、しーちゃんがいるからさみしくないよ!
パパもあとで帰ってくるからね」

とニコニコ笑って言った。

寂しいって言ったのは自分なのに(^-^;)
と、ちょっと笑いつつ、

「ありがとう。そうだね。寂しくない」
と抱きかかえるのだった。薬局の隅で(笑)


そんな経緯で行ってきた、
日曜日のアンデルセン公園。

先日に引き続き、初夏の水遊びを満喫。

また小動物もさわり、
新幹線のような乗り物も乗って、
今回は初ボートも挑戦。

怖がるかと思っていたけど
「乗りたい!乗りたい!」と言い、
1時間待ちのところを並んで乗りました。

足場が危うかったり、
ぐらぐらするのが苦手なわたしのほうが
こつぶよりよっぽど怖がっていたかも…(;(エ);)

ボートの上で手をしっかり握り合いつつ、
水面をすべるように動くアメンボや
岩の上でじっとする亀を眺めていた。

帰りは相方もわたしも、倒れそうにぐったりの中、
ひとりまだまだ元気なこつぶ・・・

予定変更の寂しさを挽回できたのは良いけれど、
へろへろの夜でした。
土曜日、猛ダッシュ。

土曜日、猛ダッシュ。

ドタバタ週末が終わりました。

天気が良いうちにやりたい断捨離、
全然進まなかった…。

土曜日の父は顔色がよかった。

めずらしく兄と一緒に病院へ行った。

晴れて気持ちよかったので
父も外の景色が見たいと言って
車椅子で病院のまわりをぐるりと一周した。

今はほんの数ミリの段差さえ、
車椅子がガタッという時の痛みに
耐えられないので、
兄がうまく車椅子を上げてくれて助かった。

わたしも、もっと力をつけて
コツも掴まないとな。

風のよく通る日陰で
気持ちよさそうにしている父を見ていたら
ほっとした。

外にいたのは30分くらい。
行く時は支えながらゆっくりと自分の足で立って
車椅子に移動できたけれど、
部屋に戻ったときには、
もう自分の力では立てなかった。
少しのことで、体力を消耗してしまう。


その後も用事が重なっていたので
時間が足りないと思いつつ、

父の病院へ行く前にダッシュで大回りをして
甥っ子の運動会をちらっとだけ見に行った。

文字通り、駐車場から校庭まで猛ダッシュ。

校庭にいられる時間は、たったの5分…。

たくさんの子どもたちの中で
甥っ子を見つけられるか心配したけど
応援団長は長いハッピを着ているから、
すぐにわかった。

甥っ子はきちんとみんなのリーダーとなって
応援していた。
あんた、喉が枯れて、
もう全然声が出てないやん・・・

代表で選手宣誓もしたらしいのだけれど、
あの声でどうやってやったんだろう。
そう思うと、また涙・涙の叔母バカ。。

ずっと楽しみにしていた母は
体調悪化で検査になり、今日は行けなかったので
代わりに写真を撮ってメールをした。

あぁ、もっともっと見たかったと
後ろ髪を引かれながら、
ふたたび猛ダッシュで校庭を後にした。

この日の教訓:
ダッシュしても息切れしないように
体力をつけよう。
今はたぶん、小学生にもかなわないな…(;(エ);)
カメラ目線の理由。

カメラ目線の理由。

ハムちゃんが
写真を撮られるのが好きなのかどうか、
実際のところはわからない。

常に100%カメラ目線で
何十枚撮ろうとブレることもないけれど
好きなのかどうかというと、
やはりそこはわからない。

ただ、昔、なるほどと思ったのは
ワンコ雑誌の取材を受けたとき、

「身体は動かないのに
表情がくるくる変わっておもしろい子ですねぇ〜
こんなに撮りやすいなんて!」

と最初は言っていたカメラマンの女性が

途中で、あ!と合点がいったように

「ハンちゃんは写真を撮られているんじゃなくて
ただやえさんをいつもずっと見てるんですね!」

と、言ったことだ。

そのあとは、わたしの背後に立って撮影していた。

横顔を撮りたければ、
わたしをその方向に立たせればよかった。

そんなことを思い出しながら今、
寝室にて腕枕でくつろいでいるハムさんに
そっと斜めからカメラをサイレントにして
こっそり写真を撮ってみたら、

やはりこちらを向いているのだった。
晴れ姿

晴れ姿

明日は甥っ子その2(次男)の運動会。
小学校最後になる。

幼稚園の頃からよく運動会に通っていたので
なんだかとても感慨深い。
子どもたちのダンスに感動して
ハラハラと泣けてくる独身の叔母バカだった(笑)

兄弟って本当に性格がそれぞれだよね。

繊細でよく気がつく、その1の長男とはまた違って、
屈託なくひたすら明るく、
ニコニコしながらさくさくと物事を進めていく次男。

昔バレンタインデーなどに
大好きなお菓子の詰め合わせを
それぞれふたりにあげたら、

長男は「これは今日のぶん」と
我慢しながら計画的に食べ、
次男はあげた初日にお腹に入るだけたらふく食べて
「あ、もうないや!」と
食べ終わってから言うのだった。

が、その明るく飄々とした性格には人が集まり、
いつの間にか、「クラスのムードメーカーです」
「いつも上手にクラスをまとめてくれています」等々と
連絡帳や成績表に書かれるようになった。

それで、今回。

小学校最後の運動会。

応援団が大好きなので、

「最後だし、応援団をまたやりたいな〜。
リレーにも出られたらいいなー」
なんて言っていたら、なんと・・・

応援団長に選ばれたと!
そしてリレーではアンカーだと!!

・・・大丈夫なのか(゚-゚;)

目立つのが大の苦手な姉は
すでにハラハラしている様子。

まぁきっと、楽しい思い出を作るだろう。

もちろんわたしも行きたくて
行きたくて行きたくて(三度言う。笑)
甥っ子の晴れ姿を見たくてしょうがないけど、

明日は父の病院+面談、また施設巡りと
行くところがいっぱいなので断念。

遠くから念を送るよ。
わたしが行かなければ、晴れるしね(笑)

代わりに、甥っ子大好きの娘が
母とともに観戦予定。
それはもう、前から楽しみにして
今日も「あしただから、がんばる!」と言っていたこつぶ。
楽しんできてね。

・・・と、

この記事を昼休みにUPしようとしたところで
最近調子の悪かった母がふたたび体調を崩してしまい、
明日は行けないことに(涙

母も残念がっているけれど、
娘になんていおう(>_<)

しかも、明日朝早いので、
今夜は一緒に母宅に泊まる予定で
それはもう、ずっと楽しみにしていたこつぶ・・・。

帰宅の途に着く前に
なんとか喜ばせる別のことを考えなくては。

写真は、3月の甥っ子次男とこつぶ。
「おにいたん、おにいたん」って
会うといつも喜んでるから、
早くまた会いたいね。
格闘と懇願

格闘と懇願

昨夜、夕飯を食べたあと、
こつぶと初めてちぎり絵にトライ。

カラフルなお花を好きにちぎって
草原のような台紙に貼っていくもの。

初めてスティックのりを持たせてみた。

シールとはちがって
自分でくっつけていくことに驚きつつ、
楽しんで貼っていくこつぶ。

そのあいだ、シャビはわたしの膝の上でうたた寝、
ハニョはソファからじっとこちらを観察していた。


そしてひと晩あけて、今朝。

案の定というか、
わかりやすいというか。

昨夜ずっと、「いいなあ、あれ」と思って
見ていたんだろうね。

ツリーのかたちをしたこつぶの文具箱に
マズルを突っ込んで格闘するハニョ。

なんとか口でのりを咥えたけど
ツリーの部分にのりが引っかかって出てこない。

前脚を入れて引っ掻くも
スティックのりだから中で転がるだけ。

最近はこつぶが夢中になったおもちゃを
必ず後から借りようとする。
いや、もしくは盗っ人しようとするハニョ。

どうしてもスティックのりが取れなくて
困った眉になり、
「はふーっ、キューン」と鼻を鳴らして
わたしの顔を何度も見てくる。

「ハンちゃんそれね、のりなのよ。
食べたらお口がくっついちゃうかもよ」

スティックのりが耳の毛にからまって
ぶらさがる様は見たくない…!

しかし、依然あきらめられず、
懇願するように眉は下がりっぱなし。
父の病状 〜その3 お花をもって。

父の病状 〜その3 お花をもって。

日をまたいでしまってすみません。
何せ楽しい話じゃないので
書いているうちにしんどくなってしまった…

でも父のことを心配もしてもらっていたし、
限られた友人たちもこれを見ているし、
直接話すのはたぶんできないので
(話せば泣いてしまいそうなのでそれが嫌だ)
書いて知ってもらいたい。

父の現状とともに、
末期のこういう選択もあるのだということも。

積極的に治療をする人がほとんどだと思うけれど
治療をしない選択をした父とわたし達家族が
どんなふうな最期を迎えていくか、
これから家族を看取る人たちの一考になればと
思います。


さて、もう余命いくばくもないと知らされたわたし達。
「もし夜中に亡くなっても、連絡はしますが、
急いで駆けつけなくて大丈夫ですからね、
落ち着いて、朝になってから来てもらえばいいので」と
そこまで説明されていた。

そこからはもう悔いのないように
父が好きなもの、食べたいものを持って行き、
少し話ができる時には穏やかな話をして
話ができない時にはただそばにいて見守り、

もう歩けないし必要のないのかもしれないけど
延びた足の爪が悲しくて
足の爪を切ったり、ひげを剃ったりして。

わたしは一人、心の中で
今こそ仕事を辞めて自宅で看取るべきでは?
最期ならば、もっと一緒にいるべきでは?
という思いが拭えず、
何度も何度も今の自分の状況や父の状態について
繰り返し考えて、社会福祉士さんにも話を聞いて。

ただ、痛み止めの麻薬のコントロールが
しかるべき医師のもとじゃないと行えないことと
病院からの移動に耐える体力さえないかもしれないとの
ことで、自宅は厳しいだろうと。
在宅で往診してくれる医師を調べてみたけれど
通える距離に麻薬を扱える医師もいなかった。

そんな気忙しい毎日でも
一度泣いたことで、不思議と覚悟がついた。
もうあとは父ができるだけ苦しまないように
やっていこう、という決心もできた。

どうか神様がいるのなら、
穏やかにその時を迎えさせてほしいと
願うばかりでした。


そこから一ヶ月が経って。

父の兄弟にも、然るべき時に備えて準備するようにね、
と言われ、
今日明日にでもその時が、と言われていた父は、
なんとふたたび回復しつつあります。

点滴なども外し、なんの治療もしないまま。

どうやら気まぐれな神様は
今回は父を連れて行くことをやめたようです。


少しずつ食事が摂れるようになり、
目の焦点もしっかりして
会話もできるようになりました。

「チョコレートが食べたい」などと
言うようにもなりました。

先週は、いつ以来か、
支えながらほんの少し歩けました。

「今はひげ剃りはしたくない」と
文句を言うようにもなりました。

車椅子での散歩もできるようになり、
外の風を「気持ちいい」と喜ぶようになりました。

生命力というのは本当に不思議です。
内臓の数値やデータだけ見ればもうとても無理なはずなのに
先生でも説明のつかない、
こんなこともあるんですね。

昨日など、兄から電話が来て
車椅子で外を散歩し、喫煙所まで行って
久しぶりにタバコを吸ったよ、と(!!)

父が、うれしさからなのか、
看護師さんに正直にしゃべってしまって
兄も父も怒られたらしい。

「そんなことしてむせて死んじゃったらどうするのっ」
とわたしが兄に言うと
「ま、それはそうでいいんじゃないの。
本人がやりたいことやってさ」と。

・・つい苦笑いしてしまった。そうかもね。

いつまた急変するかわからないし、
おまけのようなこの日々が
いつまで続くか誰にもわからないけど
一喜一憂しながら過ごしていくんだろうな。


一度死の淵をさまよったことで
よかったこともある。
父のことを突き放していた兄が
毎週のように病院を訪れるようになったこと。
父の車椅子を押すなんて、
以前はとても考えられなかった。

回復傾向にあるので
ふたたび次の病院を探すことになったため、
(通常の病院は、一度の入院期間が
3か月までしかいられない)
またあちこち駆け回っているけど
前向きにやっていこうと思っています。

以上、命の灯が消える寸前で
ふたたび意識を取り戻した父の病状でした。

漬物が食べたいと昨日リクエストがあったので
おいしい漬物を探して持って行きます。
父が好きそうなものを一生懸命に探しても
「これ、あんまりうまくないな」って
きっとまた文句を言うんだろうけど。


*写真は、庭のたんぽぽを摘むこつぶ。
 いつもはわたしにくれるけれど
 「イタイイタイのママのじいじに
 持っていってあげるの」と言って花を見せる。
父の病状 〜その2 宣告と選択

父の病状 〜その2 宣告と選択

前の記事のつづきです。

父がもう厳しい状態だと感じたので
兄にも連絡し、
「重要な話だったらわたし一人で判断できないから」と
その日は兄にも来てもらいました。

父がお世話になっているのは院長先生で
肝臓の専門医。
本当に物腰がやわらかく、
どんな時も優しく話してくれるのですが

今回も、とても優しい口調ながら
話の内容はやはりとても厳しかったです。

父の体調が急変したこと、
点滴などもしたが、良くなる様子が見られないこと、
肝臓や腎臓の数値も限界とのこと・・・

「正直なところ、
いつ心臓が止まってもおかしくない状態です」と。

普通の人であればなんてことない微熱や
ほんのちょっとの風邪でも、
もう持ちこたえられないだろうと。
何をきっかけに心臓が止まってしまうかわからず、
これ以上のことは(そもそも父が望んでいないので)
もう難しいと思います、とのことだった。

「それで、こういうお話を切り出すのは心苦しいですが、
心臓が止まった場合、心肺蘇生はしますか?
これ以上の治療をしないことは承知していますが、
心肺蘇生をすれば、少しの延命はできるかもしれません」

と聞かれた。

これは事前に家族に意向を聞いておかなければ
ならないんだそう。

すぐ心肺蘇生をすれば心臓がまた動くこともあると。
ただ、父の状態ではそれでも一週間生き長らえるくらいだと。
そしてその間、本人は苦しいのだと・・・。

自分が、足の上に置いた両手を痛いくらいに
掴んでいることに気がついた。
それくらい力を振り絞って言わなくてはいけなかった。

「心肺蘇生はしないでください。
そのときがきたら、
もう逝かせてあげてください。」

兄も同様の意見だった。
伯父たちも「そうしてください」と賛成した。

先生は気持ちを汲むように、こう言ってくれた。

「私も心肺蘇生をしないほうがいいと思います。
もうじゅうぶんお父さんは頑張ってこられました。
お嬢さんがこれまで献身的にお父さんを見てきたことを
私たちもよく知っていますし、
お父さんもわかっているはずです。
心肺蘇生をすれば、
最期に別れを言う時間はできるかもしれませんが
これまで長い時間をかけて
じゅうぶん向き合ってきたと思います。
最期に別れを言えるかどうかは、
もう重要ではないと思います」

先生の言葉を聞きながら、
初めて泣いた。涙が止まらなくなった。

父が入退院を繰り返すようになってから三年半、
ずっとずっと、気を張っていた。
泣きたくてたまらなくても、しっかりしなくてはと
いつもすんでのところでガマンしていた。
でも、もういいだろうと、やっと思えた。

ひとつだけ先生にお願いをした。

ただでさえ、もうほとんど食べられない状態なのに
腎臓などが悪くなっているため、
食事制限をされている。
味が濃いものや塩分の強いものが好きな父だけれど
それらは一切ダメと言われているため、
余計に食べられない。
治る病気ならば、それでもがんばれと励ますが、
もう余命いくばくもないのならば、
食べたいものを食べさせてあげたいのだけれど、
どうでしょうか?と。

先生は少し考えた後、
「数値から考えれば塩分などは本当は避けたいけれど
仰るとおりにしましょう。制限はやめましょう。
もし好きなものを食べることによって元気が出るのなら
それに勝ることはありませんから」
と言って、制限を外してくれた。

よかった。
これで、好きなものを食べさせてあげられる、
とほっとした。


先生との話も終わり、病室へ行って、
伯父さんたちが来てくれたことを父に言うと
焦点の合わない目でぼんやりしながらも
はるばる会いに来てくれた兄弟に
「来なくてよかったのに」と絞るような声で悪態をつき、
「相変わらずだなあ、ほんとに」と兄弟たちを笑わせた。


→書き切れず、次で最後になります。
 読み飛ばしてくださいね。

*今回も本文と写真は関係ありません。
 ででん、と寝転がるハニョです。
父の病状 〜その1 急変

父の病状 〜その1 急変

父のこと、日々変化しているのに
書こうと思うとしんどくて
だとしたら、きっと読むほうも楽しくないだろうと
なかなか現状を書けないでいましたが・・・
未だ手探りなので、最近までの経緯を。
自分の覚書としても。

父の体調が安定してきたので
転院先を探しましょう、と
先生からお話があったのが3月の半ばのこと。

自宅に帰ることは難しい。
療養できる先を見つけて、
まずしばらくは様子を見ましょうとのことだった。

ただし、24時間看護師のいる場所であること、
積極的治療をしないことを受け入れてくれること、
薬価が高い薬を使っているので、
それを扱ってくれるところ、
そして痛みを緩和する麻薬パッチを
継続して使用できるところ・・・

こういう条件が重なると、受け入れ先はほとんどなく、
特に麻薬パッチは取り扱いのできる医師が
限られているため、
病院側があたってくれた先すべてが
「受け入れは難しい」との返答だった。

麻薬パッチさえなければ・・といくつもの先から言われたけれど
先生の見解では「あったほうがいい」と。
病院の社会福祉士さんもうなってしまう状態。
治療ではなく、緩和ケアで看てもらうことは
とてもハードルが高いと知った。


そうこうしているうちに
父の様子が急変した。

つい数日前には話をしていたのに
話しかけても返事がないばかりか、
目の焦点も合っていない。何も表情がない。

唯一、どんな時も笑顔を見せたこつぶが来ても
こつぶだということすらわからない。

この状態は…と案じていたら
急きょ、主治医から話がしたいと連絡があった。

これが4月半ばのこと。

もうこの時点で、
厳しい話になることはわかっていたので
伯父たちにも連絡をして、遠方から来てもらった。

近くの駅まで迎えに行き、
はるばる来てくれた伯父たちを乗せて病院へ向かう間、
ずっと泣きそうな、心もとない気持ちでいたけれど
伯父たちの話す父の記憶が、思いのほか、
気持ちを安らかにしてくれた。

父が子供の頃、東京から大阪の親類の家にひとり預けられ、
そこで由緒ある家の養子になるはずだったのに
(この頃の話を父から聞くのがわたしは大好きだった)
勝手に東京の家に帰ってきてしまったこと、

青年の頃、盲腸になって入院した後、
手術が嫌で裏口から逃げてしまったこと。etcetc

「たかが盲腸なのに手遅れになりかけて
2時間以上の大手術になってしまった」と
常々父は言っていたが、
それは自分が裏口から逃げたせいだったなんて!

父の記憶でこうして笑えることに感謝した。
思い出を語ってくれる人がいることに感謝した。

昔から病院が大嫌いだったんだよね、と
みんなで笑った。


そうして父の懐かしい話をしながら病院へ着いて
先生から聞いた宣告は、
想像していた以上に厳しい話でした。


→以下、長いので次の記事へつづきます。

*本文と写真は関係ありません。

 写真は、昨日帰宅時に出迎えてくれたときの2ワン。
 ハニョの怠惰な姿勢…。

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